水抜きと蒸らしについて |
焙煎の原理というか基礎というか、、、
たとえば、最初は「水分抜き」や「蒸らし」と言われているが、
実際は水分を抜いているのか、抜きすぎてもいけないのか、水分はあまり抜かずに
温度をあげるだけなのか、、、、とか
一ハゼ開始後以降はダンパーを「開けると味が抜ける」「閉めると煙がこもって燻
り臭がする」
など、なんとなくそうなのかな?と思ってやっていますが、科学的根拠とか特にな
くやっているので
納得のいく原理が知りたいです。
A.
豆の中の水分が沸点になると蒸発が始まります。
私の過去に行った実験では火力などによってその量は異なりますが、ある温度からは時間とともに大体平均して水分は消失します。
水分の抜け具合は豆の中の水分の沸点以降の火力と時間に大体比例するのです。
ダンパーが開き気味の場合は豆の内部に熱が届きにくくなり表面近くの水分だけが消失します。ダンパーが閉めすぎのばあいは、ドラム内に熱が入りにくくなり豆の全体に熱が届きにくくなります。(実際蒸らしという呪文に惑わされてダンパーを閉めすぎる人が多いです。)
要するに一般的に使われる「水分抜き」という言葉は、本来は豆の内部の水分を抜くという意味を成すのではないでしょうか。殆どの場合、水分の抜ける意味を良く解らないまま漠然と「水分抜き」をしているのでしょう。ロースト業界では今まで歩留まり(水分の消失による目減りの量)を重視する会社が多くその結果浅煎りのコーヒーが主流であった様に思えます。その結果焙煎時間の短い味を無視した焙煎が主流になってしまったのです。
「蒸らし」とは非常に紛らわしい言葉です。
お肉などの食品の場合、蒸発した旨み成分を戻す役割があり、内圧が高い状態を作ることで高い温度の水蒸気が内部の水分を吸着する働きが起こります。しかしながら、この方法はコーヒー豆には全く当てはまりません。コーヒー豆は本来煎るものであるからです。蒸発した水分は放出しなければなりません。確かにある程度ダンパーを閉めることで豆の内部に熱が届きやすくなるので、均一で効率の良い水分の消失が可能です。その意味を「蒸らし」という安易な言葉で表現しているのに過ぎないのです。
遠火の強火という表現もありますが、それは焼き鳥の場合に使う言葉であってコーヒーの焙煎には的を得ていません。他の調理方法を例えに引用することは、安易ではありますが全く無意味なことなのです。煎る・焼く・蒸すは全く別ものなのです。
1ハゼ以降にダンパーが開けすぎの場合は、熱が素通りするために主に表面の水分だけを抜く作用が強くなり、見た目にカサついた艶の無い色になります。見かけの温度は高くても豆の内部に届く熱は減少して、化学反応が不十分になり味・香りの生成される量が減少するために味が抜けたのだと錯覚するのです。全体に色着きが悪く深く煎っても色が上手く着きません。
1ハゼ後にダンパーを閉め過ぎた場合は、蒸発した生臭さ・渋み・えぐみや焦げ臭・燻り臭が再付着します。これを戻り香と私は呼んでます。味の生成が不十分となり、味は特徴が無くどれも同じような味に感じられます。簡単に言うとぼやけた味です。ダンパーを長い時間閉めていると、ドラムの温度が上がりその接触熱で豆の表面だけを焦がす状態になります。表面は色着いては居ますがくすんだ色になります。見た目は綺麗に煎れてるようでも重たい芯残りの酸味が残ります。戻り香・焦げ臭も残ります。
このように、ダンパーを上手く扱うことが焙煎では重要なのです。少し閉め気味にしたり、少し開け気味にしたり、ダンパー操作タイミングをずらす事で色んな味わいの表現が可能になります。
長くなりましたが、比喩的表現を使う理由は本来の理由や意味が良く解らないために、あいまいな言葉で誤魔化しているに過ぎないのです。